
会は回を重ねる度にたくましく成長して、
昭和30年の第四回展以後は愛知県美術館に会場を移し、
特に九回から十二回までは四彩展の名で創彫会(彫塑)、
生々会(書道)、池坊華道会(華道)とともに開催して
世の注目を集めたものである。
また、昭和41年には15回記念展、46年には20回記念展、
56年とそれぞれ節目ごとに記念展を開催、
有志は100名を越し大作を集めて
完全にグループ展のスケールから脱却した。
その間会員のうちにも若干の交替もあったが、日展、光風会その他に多くの入選者、受賞者を送り出し、現在では光風会会員、会友、評議員、日展委嘱出品者等、数多くの作家を擁している。
しかし南風会は必ずしもプロの作家のみの集団ではなく、何時も小品のみを描き続け、あくまでも美しいアマチュア精神に徹してたゆまぬ努力をしている作家群もある。
これはまことにほほえましい光景であるのだが、こうした隆盛は勿論作家一人一人の芸術に対する厳しい精進のたまものであるが、終始強固な支柱となって激励をいただいた故鬼頭鍋三郎先生の暖かい御指導に負う所が多い。そして全体としてみるならば、南風会自体の大きな成長を物語っている。
