小川博史 洋画家94歳 名古屋市総合体育館、 大陶壁画
- 『新美術新聞』 青春プレイバック 2007年8月1・11日合併号
- (美術年鑑社発行)
築七〇年のアトリエ(名古屋市南区)の壁に、茶色に変色した週刊誌の切抜きが、ビニール袋に丸めて詰め込まれ、吊り下げられていた。
「爛柯と言う言葉。とても難しい言葉ですが、娘(武部志摩子さん)として父の姿そのものじゃないかなと思います。『好きな道で懸命に絵を描いて生活していたら、あっという間に歳を取って、九四歳になってしまった』と父は言います。自分と同世代の知人は、床に臥せったり、他界してしまっている。こんな父の心境は、なにか日本の昔話にある浦島太郎伝説に似ているし、それは『爛柯』という言葉とぴったり重なると思うんです」。そう説明を加えた上で、取材の資料にとコピーを手渡してくれた。浅学の身には、「爛柯」という耳慣れない言葉の出典など、知る由もない。要するに浦島太郎のような意味あいの故事である。そう納得した上で取材を始めた。いただいたコピーは帰京する新幹線の車内で初めて目を通し、思わず赤面した。独りの画家として、小川博史の語る言葉のすべては「爛柯」の二字に帰結する、実に重い意味を持つ言葉だったからである。