小川博史 記事録

小川博史 洋画家94歳 名古屋市総合体育館、 大陶壁画

  • 『新美術新聞』 青春プレイバック 2007年8月1・11日合併号
  • (美術年鑑社発行)

 築七〇年のアトリエ(名古屋市南区)の壁に、茶色に変色した週刊誌の切抜きが、ビニール袋に丸めて詰め込まれ、吊り下げられていた。

 「爛柯と言う言葉。とても難しい言葉ですが、娘(武部志摩子さん)として父の姿そのものじゃないかなと思います。『好きな道で懸命に絵を描いて生活していたら、あっという間に歳を取って、九四歳になってしまった』と父は言います。自分と同世代の知人は、床に臥せったり、他界してしまっている。こんな父の心境は、なにか日本の昔話にある浦島太郎伝説に似ているし、それは『爛柯』という言葉とぴったり重なると思うんです」。そう説明を加えた上で、取材の資料にとコピーを手渡してくれた。浅学の身には、「爛柯」という耳慣れない言葉の出典など、知る由もない。要するに浦島太郎のような意味あいの故事である。そう納得した上で取材を始めた。いただいたコピーは帰京する新幹線の車内で初めて目を通し、思わず赤面した。独りの画家として、小川博史の語る言葉のすべては「爛柯」の二字に帰結する、実に重い意味を持つ言葉だったからである。


「小川博史 洋画家94歳 名古屋市総合体育館、 大陶壁画」の続きを読む

ラスコーの壁画

  • 『新美術新聞』 日々好日 2006年 9月21日号
  • (美術年鑑社発行)

 一九五七年パリ滞在中、友人Dとルノーを駆って約六〇日かけてイベリア半島を巡った。その帰途、先史壁画で有名なフランスのラスコー洞窟を訪れた。ピレネーの北、フランスのドルドーニュ渓谷には多くの鍾乳洞の洞窟が点在する。ドルドーニュ県のレ・ゼシーからベゼール川に沿って北東へ二九キロさかのぼるとモンテニャックという村がある。この村からさらに二キロほど上ると小高い丘に至る。一九四〇年九月一二日、土地の少年たちがこの丘の松林で偶然、洞窟の入り口を発見した。それがラスコー壁画発見の端緒となった。


「ラスコーの壁画」の続きを読む

風土の中の人間像を追求する  下

  • 『なごや文化情報』 この人と 1999年5月号
  • (財団法人名古屋市文化振興事業団発行)

 志摩の海とエーゲ海、小川博史さんが、半世紀にわたって追求してきたモチーフの舞台である。歴史と風土の中に生きる人間の本質をキャンバスで表現したいと取り組む情熱はいまも燃えている。日展での審査員を勤めること六回。最多記録だそうだ。数々の賞を受けながら、より深い画境の追求を目指す洋画界の先達でもある。 
(遠藤由里枝)


「風土の中の人間像を追求する  下」の続きを読む

風土の中の人間像を 追求する  上

  • 『なごや文化情報』 この人と 1999年4月号
  • (財団法人名古屋市文化振興事業団発行)

 小川博史さんの画業は七〇年近い。「歴史や風土の中に生きる人間への思いが私の追求する永遠のテーマ」と語り、漁村の海女、ギリシャの女性像とモチーフは変わっても、画面の奥にある美の表現を模索し、色調とタッチの微妙な取り合わせによって心象風景を描き出している。

 光風会理事、日展参与として活躍、八六歳のいまなお制作発表を続けている、東海地方洋画界の重鎮である。
(聞き手・遠藤由里枝)


「風土の中の人間像を 追求する  上」の続きを読む