小川博史 記事録

辻永記念賞受賞者紹介 小川先生のこと  鵜飼幸雄

  • 『光風だより』 1982年6月
  • (光風会事務局発行)
北風 120F 1982年 第68回光風会展 辻永記念賞 愛知県美術館蔵

北風 120F 1982年 第68回光風会展 辻永記念賞 愛知県美術館蔵


 私が初めて先生を訪ねたのは、高校生の一七才だった。戦後間もない頃で、名古屋は一面焼け野原だったが、先生のアトリエは幸い戦災をまぬがれ、画学生にアトリエを開放されていたので、誰かれとなく集ってモデルを使ったり、ささやかな宴会もやったり、先生と腕相撲したことなど懐しく思い出す。私も当時は力に自信があったが、先生の腕力は、見かけとは想像もつかないけた違いの強さだった。柔道は黒帯だし、スキーは全日本選手権大会にも出場したスポーツマンである。このことは、あまり知られていない面である。そんなことが強靱な支えとなっていたのであろうか、先生の作品には何か一本骨太な筋が通っているように思われる。

 一九五七年の夏、単身ヨーロッパ旅行に発たれた。あこがれのエジプトやギリシヤでしばらく滞在し、そのあと、パリを中心に各地を歴訪されたが、就中イベリア半島二ケ月の車での旅は帰国後の作品に大きな変化をもたらした。《アビラの辺り》《アルメリアの穴居》、とくに《クエンカ》は愛知県美術館蔵となっているし、この頃のパートの厚い独特のマチエールによる堅固な作品は、中日新聞から中日文化賞によって高く評価された。

 一九七四年、エーゲ海の取材旅行では無人の島、デロスやサントリーニの感動が数々の作品を生んだ。そして、この前後から毎年の発表作がほとんど人物になった。白いキャンバスが張られると、中央あたりに二本の線が縦に引かれる。その中に、はじめは朦朧とした人物が現われ、日を追うに従って、いつの間にか人物の形が整ってくる。この方法は、ずいぶん前から手掛けておられるが、デッサンをしないでよくまとまるものだと感嘆している。これは恐らく、これまでのデッサンや思考の蓄積が、閃きとなってキャンバスに定着されるのであろう。

 五月、当地で開催した第六八回光風会展で、辻永記念賞を受けられた作品《北風》は「氷河時代から現代まで、地中海を舞台にした人間の営みを画面に凝縮している……」と中日新聞の文化欄で評しているように、先生の作品は現代の風物より古代の純粋で健康な人間のエネルギーが主題となっている。したがって色彩も形も即物的でなく心象的、主観的傾向を強く押出している。これは昔から一貫した先生の絵画主張で、初期の志摩半島の素朴な海女舟や海女を描いた作品にもはっきりと、それがうかがわれる。

 こんなことを言ったら叱られるかも知れないが、先生は身だしなみをきちんとしてみえるが、仕事や生活振りは決して器用な人ではないようだ。誠実で礼儀正しく、ちょっとストイックで不器用なところが、小川先生の人であり、作品の素晴らしい個性ではないだろうか。


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