小川博史 記事録

桂離宮にとりくむ小川博史

  • 『美術手帖』 1965年9月号
  • (美術出版社発行)
石庭 1965年 個展(日本橋・高島屋)

石庭 1965年 個展(日本橋・高島屋)


 桂離宮は、美しい桂垣と呼ばれるしなやかな竹の生垣に囲まれた一千三百余坪の中に、桂川の清流を引いた大池があり、老樹うっそうと枝を交える間に古書院、中書院、新御殿をはじめ月波楼、松琴亭、笑意軒その他の建物が隠見し、橋梁木石の配置など、すべて人工の精妙を極めている。

 私が行ったときは、三月末の春のおそい京都にも、ようやく長い冬眠からさめた樹々が生々と甦りはじめた頃で、中庭から池を隔ててその全景を眺めたとき、正直なところその美しさに、いささか圧迫を感じた。曲りくねった細道の新緑の中に消え去るところ、古書院、中書院などが並び立つ姿は、心憎さを覚えるほどの均整美である。

 桂離宮は人も知る通り八条宮家の別荘で智仁親王、智忠親王二代にわたる造営であり、今日貴重な文化財として京都内匠寮出張所によって管理されている。桂離宮は離宮であってふつうに言われる意味で観光の対象の外にある。桂離宮の拝観には、戦前はモーニングか紋付羽織袴の礼装であることが規定されていたが、今日でも拝観である以上、ある程度服装を正さなければならない。先年、私はその拝観の機会を与えられたのであったが、折悪しくヨーロッパ旅行の直前であり、それに実を言うと桂離宮に関する私自身の先入観から、その機会を逸してしまった。

 今度再びその機会をえた私は、人のつくったものが、どれだけ美しいかを見てやれといったようなやや反発的な気分で出かけて行ったのであるが、桂離宮はやっぱり美しかった。

 あれを単に人工美に過ぎないとするのはあるいは皮相な見方で、人工によって自然を再構成したものと言うべきかも知れない。

 もともと私は人工美にたいして極端に潔癖だ。ことにそれが人間の知恵と好みで、歪められた場合は、言い知れぬ嫌悪さえ覚える。桂離宮が美しいからといって、それに心を引かれることはなかった。むしろ桂離宮ぜんたいの宮廷貴族趣味にはある抵抗を感ずる。美しいがそれは私たちとは別の次元に属する美しさだ。事実、桂離宮は、宮廷貴族の特権とその富によってつくられたもので、二世智忠親王からその再修を命じられた小堀遠州は、一、労資を吝む勿れ、二、成功を急ぐ勿れ、三、完成まで来り観ること勿れ、との三個条を誓約したと伝えられている。桂離宮の美は宮廷貴族のみが享有しうるものであろう。

 桂離宮で私を捉えたものが別に二つある。「真の敷石」と呼ばれる石畳と、松琴亭の市松模様の床である。石畳には、私はあっけなくカブトを脱いだ、人の手でつくられたものとはいえ、その洗練された、それでいて粗野な美しさの前に頭をさげた。私は長いことそこから立ち去りかねた。たとえ桂離宮が桂垣によって庶民と隔離された宮廷貴族の恣意的存在であるとしても、この石畳こそはさえぎるもののない社会への通路ではなかったか?

 それにしても、いったいだれがこの切石を、ここに、こんな風に置き並べたのであろうか? おそらくは幾度も置きかえられ、並べ直されて、工夫を凝らされたのではなかったか? あるものはこの配置から除かれ、あるものは切り取られて、もはやどの一枚も置きかえ、並べ直すことは不可能である。四三個の切石は、おのおの自己のあるべき位置を与えられている。そして切石自身、自分の与えられた位置に安んじている─—とそんな感じだ。

 私は石畳の前にしゃがんで、春の豊かな光が石の面ににじむ色に見とれる。すると平べったい石の一つ一つがなにごとか無言で話しかけてくる。ここに過ぎて行った三五〇余年の歴史を─—人間社会の葛藤や愛憎や栄華の夜の夢を、切石の一つ一つがみんな知っているのではないか。いまそれを私に語りたがっている……。

 私はそっと手を石にふれる。冷たい中に何か温か味がある。石は生きている。切石の隅のほうに風化のあとが見えるのは、人工に自然が手を加えた造形ではないだろうか。立ちあがって石畳ぜんたいを眺める。四三個の切石はみごとな幾何学的模様を描いている。その質と線の美しさ! 石は生きている。この扁平にきられた石の中に自然が脈々と鼓動をつづけている! 私は何かに憑かれた気分になって幾枚もスケッチを試みた。

 私は予定を変更して、そのまま帰宅した。あの石畳の美しさをどうしても捉えなければならない。あの幾何学的な構成の美しさを自分のものにしなければならない。

 朝から晩まで思いつめる。正に惚れた女への執念である。しかし石は無情だった。カンバスの上の私の石は、桂の石畳にはなってくれない。一個一個孤立して、たがいに反発しあい自己を主張しつづける。和がない。いくど試みても桂離宮の石畳に感じた幾何学的な美しさが出てこない。

 私はまたつてを求めて桂離宮へ出かけて行かねばならない。平べったい切石の一個一個は、ふたたび私の前にある。その四三個の切石が描く幾何学的模様は先日となんら変わったところはない。私はその前にたたずんでじっと心耳を傾ける。けれども何の感応もない。先回と相違して切石は頑固に沈黙している。なにごとも語ってはくれぬ。絶望! 私は長い時間石畳の前に立ちつくした。

 表現とは対象の中に我を見ることだ——とある哲学者は定義した。対象の中に我を見るとは、結局、我自らが対象化されることではないか。私が石を描くのでなく、私が石そのものと一如になることだ。最初、石畳はその幾何学的構成の完全さで私を捉えた。私は自己の思慮を絶したところに、石の語る言葉を聴きえた。その次は、私は石畳を自分のものにしよう、自分の画にしようとして石畳に対した。けだし私の邪心の前に、切石の一個一個が頑固に沈黙したのは当然である。石は、あの石畳は、桂離宮にあるがままに、また私の作品の裡にもあらねばならぬものだ。私は小ざかしい我意を捨て去った。

 私は桂離宮を拝観して「真の敷石」を見て来た。そしてそれに取り憑かれた。表題の「桂離宮にとりくむ」は「桂離宮の石畳にとりくむ」というべきである。


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