小川博史 記事録

作家と風土・小川博史 思考と詩篇  田近憲三

  • 『美術の窓』 1987年2・3月合併号
  • (生活の友社発行)

思考から描写に到る独特の人物表現

 小川博史氏は名古屋の生れであって、その名古屋をめぐる地域一帯の、絵画の筆頭にあった鬼頭鍋三郎に学んだのは、一六歳の時からであり、ついで五年後には、また日展を代表する辻永氏にしたがった。

 鬼頭氏は、後に繊巧を尽した舞妓図を描いて、独壇場をうたわれたが、小川氏は、それとは正反対の画風に進みながらも、その師だけが持った、「美の磨き」を修得したほかに、辻永氏からは、常に絵画は「品格をもて」という、その難しい品格を体得した。

 そして終始日展と、日展洋画の大主流をなす光風会を活躍の場として現在に至り、唯今では、日展洋画の明日を代表する、その一人として尊ばれるに至っている。

 その作品は、日展型の写実ではない。それどころか、全洋画壇中の異色のうちの異色、その制作は、人物の像に徹底をしているが、と云ってもそれは、人物をそのままに描く制作ではない。作家は、人物を、つねに表象に置く。制作を、歴史あるいは現世の、ある環境の物語とする。そしてそれを思考から描写する。そして芳麗の画面を生む。そしてそれを唯今では、その完成に導いている。

 絵画というものを、内にあらわす内容から言う時には、画壇にこの作家ほどの芳醇はない。物事をただ現実に描くだけの、洋画の写実の中にあって、小川博史氏は思考の世界をうち開いた。

《東風》、現世の宿命を負った人物像


東風 120F 1981年 第13回日展

東風 120F 1981年 第13回日展

 作家はよく、ギリシァからエーゲ海を訪れている。今のギリシァが良いわけではない。それに宿される、古代の余影が美しいからである。人も知るように、古代のギリシァは、その後のいかなる時代も伍しえない、薫るばかりの文明をうち立てた。その古代の香気は、更にエーゲ海の島々に濃密であった。

 フト見る島の乙女に、その余香が残っている。断片に——そういう断片を此処かしこに集めて、作家の胸には、その古代というよりも、或る古代美が造られてゆく。

 《東風》は一九八一年の作品である。

 画面は、真中に乙女を立たせている。作家の構図は、昔から変らない。

 昔は天使が多く描かれたが、作家が描いたのは、西欧の絵画にあるような、平凡に翼だけを着けた子供ではなかった。作家は、天使から、現実な「生ま」なものをすべて取去って、その像を逆に図式にとり、天使をめぐって醸される、神話とも伝説ともいう、雰囲気からそれを描写した。

 それが今その《東風》では、例外のように、画面を今の世に近づけた。乙女はたたずんでいる、胸に手をあてて。傍らに裸身の児が立っている。生長をして、間もなく世の中に出る男の児である。二人の周囲には生活の浪、現世の荒ずみが、風に騒ぎ、埃をともなって動くようである。

 自身の弱々しい少年に、乙女は愛と危惧を感じている。そしてそれを人世の宿命とも受入れて、その男の児をジッと見る。しかし、それは青春の一歩前である。それを示して早春の東風が、更にも彼方に、青天の明るさをあらわした。女性の像は、作家の思考に浄められて、現実の人でありながら、同時に古代の像のように描かれている。

《北風》、悠久の時の中に佇む乙女

 八二年の《北風》は、《東風》と同一の構図である。この作品は、一層に思考的である。画面には、ここにも乙女を立たせている。評者は、小川氏の作品をいずれも同一に見るようだが、作品は一点ごとに違っている。

 この《北風》では、先の《東風》に挿入をしたような、現世の匂いは、すべて取り去って制作をした。羅衣をまとう立像の女性は、そのためにゆゆしくも、あの古代の、神と人とが混和した時代から現れ出たように、雄々しくも高貴を帯びて佇立した。

 風は激しく、半裸の肉体と羅衣を打つ。白銀の髪は風になびく。片手にもすそを押えて立つ姿は、強風を忘れて、想いにとらわれている。まわりには黒闇が走る、紺青が囲む——破滅がさわぎ、希望が囲むかのように。それは、歴史の中の、ただならぬ起伏を暗示するものか。

 風は吹く、危惧は高い、その間に乙女は凛然と立つ。それは古代の像が、生命を得て、そこに思考をして立つ姿か。時間をこえた悠久の中に、何事かの厳としたものを表わして、現世とも古代ともつかぬ時の中に、その人像は立つようである。

 そのとき作家の制作に打たれるのは、作品に、他の何人にもない品位が具わっていることである。そしてその全篇が、自分がこのように思うという説明ではなく、暗示を深くして、その画面が、詩篇になっていることである。


西風 120F 1980年 第12回日展

西風 120F 1980年 第12回日展

名古屋市の大総合体育館の陶板壁画を手がける

 小川博史氏は、きわめて地味な画家であって、自分を誇ることが無かったが、しかしこの度名古屋市で、国際都市の誇りとして、全国一の大総合体育館が建設をされたとき、館内に入った途端に仰ぎ見る、幅二〇米の大壁面を飾る制作を依頼されたのは、この小川博史氏であった。

 作家はそれを浮彫り陶板で作成しているが、競技の場所とてその大レリーフの中央には、勝利の女神のニケを置き、右左の端には聖火をはこぶ少女と、古代ギリシァの海神を対照させ、その中間に競技をきそう多数の人像を配置した。その制作は必ずや話題を生んで、改めて、絵画でもって詩篇を生みつづけるこの作家に、更に新しい認識を生むのではないだろうか。


サモトラケのニケ エーゲ海北東部のサモトラケ島で発見された、ギリシャ神話の勝利の女神ニケの大理石像のデッサン

サモトラケ島で発見された、ギリシャ神話の勝利の女神ニケの大理石像のデッサン


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