小川博史 記事録

忘れられない思出 紀行メモより

  • 『美術館ニュース』窓口 1959年No.45
  • (愛知県文化会館発行)

旅の印象は断片的だ。特に飛行機の旅は中間の連絡がないので、行った処、見たものだけがパッと明るく記憶に残る。その上、時間の序列が往々前後する。それ等も日が経つにつれて次第に薄らいで行くのでないかと思うので、記憶に残っているうちに書いておくことにする。

カイロ

 カイロは回教の都だ。回教は予言者マホメッドが創立した一神教で、街を行く女性は殆んど黒いチャドウを頭からすっぽりと被って、ただ僅かに眼だけを出して歩いている。エトランゼにはちょっと神秘的でさえある。ホテルなどの給仕は全部男で、それもまっ黒な大男揃いだ。それがナイトガウンのような長いローブを着て頭に白いターバンを巻いている。まっ黒なヒゲ面は少々おっかない感じもするが、それが至って優しい。カイロへ着いた夜、アラビヤ料理を喰ったが、羊の脳味噌は実にうまかった。羊の脳味噌を生のまゝスープにしたのをパンにぬって喰べるのだが、慣れていない我々日本人には「いかもの喰い」の部類にはいるかも知れない。この外にナイル河のほとりの鳩料理の味もまた乙なものであった。

 しかし何と言っても忘れ難いのはナイトクラブである。コーペンガーデンやアリゾナは各国の観光客で満員である。焦茶色のアラビヤ人の女が、甚だチャーミングな踊を見せてくれる。正直なところ私はこの踊を見ていて、自分が画かきであることを忘れ果てゝ、ただ一個の観賞者でしかなかった。観賞者といっても、あの展覧会の画を見るナイーブな観賞者ではない。もう少し罪な観賞者であった。恐らく入場者のすべてがそうであったと思う。このアラビヤ踊りが強烈なカラーで描かれた画であるとすれば——。


ポルトガルの水汲女

ポルトガルの水汲女


ギリシヤ

 ギリシヤでは金髪のすばらしい美人に話しかけられた。而も流暢な日本語で!場所はアテネのアクロポリスの神殿の前である。三方崖のゆるい傾斜を登りつめると、白大理石の円柱が林立し、紀元前四四七年の輝きを今なお放っている。当時の建築家イタテメースを主任とし、彫刻界の巨匠フェディアスを総監督として造営されたもので、こゝで呆然自失の思いで見とれていると、「あなた日本の方ですか」と声をかけられたのである。はっとして振返ると青く澄んだ眼をした金髪美人だ。

話をして見ると駐日ドイツ大使クロード氏の令嬢で、両親を日本に残して、自分一人で独逸へ帰る途中アテネに立寄ったとのこと、何時まで話しても話はつきない。こゝで何かロマンスがあってもいゝのだが生れつきウブな私のことだ。たゞ記念にリガベットの丘の見える場所に立って貰って写真を撮った。ところが残念なことにはレンズのキャップを取ることを忘れていたので、クロード氏令嬢の姿は私の手許に止まってくれなかった。余程あがっていたものと見える。

ムーランの一夜

 パリ在住の友人SとTがやって来て、ムーランルージュを見に行こうと言う。うっかり行くと三万フラン位ふんだくられると言うので、私の泊っているホテル、ラスパイユのマダムに頼んで切符を手に入れて貰った。ムーラン行の観光バスに乗ると、キヤッフエーを四、五軒廻って五千フラン位ですむ。例のジャンダークの銅像の立っているピラミッドから観光バスに乗って出かけた。大体悪友がいっしょなので、私は少々用心しなければならないと考えていたが、SやTの方から言えば却って私を悪友に見たて、彼等の方でも用心していたかも知れない。それならお互様だという訳である。だがお互に友人同士のことを気にかける余裕なんかあったものでない。名前は忘れたが、最初にいったキヤッフエーで、完全にスポイルされた形だった。
 と、言うのは薄暗い入口にビヤ樽のように肥ったマダムがいて、それが大きな金槌をもっていて、はいって来る客の頭を片っぱしから殴るのである。悪い処へ行くのだから殴られるのは当然かも知れぬが、お客を殴るとは怪からん話だ。だが、金槌と思ったのはゴム製の槌で、よほどひどく殴られても痛くない。何んのためにあんなことをするのだか、私はいまになっても判断がつかない。ガンと一つ殴られて、中へはいると、客はアメリカ、スペイン、ギリシヤ、スイス、イタリヤ、ポルトガルなど各国人の集りで、片っぱしから引っぱり出されて隠し芸をさせられる。Sはあご髭を生やしているので、目立つ故かさんざん引っぱり出された。

しかしそこは図々しいSのことだ。でたらめな歌や踊りを臆面もなくやってのけたのは、さすがに日本男子の面目だった。それが一順すると、次は皆が円く輪になって、お互の背中をつかまえて、歌をうたい踊りながらぐるぐる廻るのである。尤もこの馬鹿らしい遊戯も、シャンパーニュの酔いが手伝っているので、一同大はしゃぎで参加する。夢中になって踊っていると、ビヤ樽のマダムが例のゴム槌をもって出て来た。また頭へ一つ見舞われるのかと、少々恐れを抱いていると彼女は手当り次第円形の中から男と女を一人宛引っぱり出す。そしてビロードの切れを敷いた上に一組の男女を座らせて抱擁させる。そしてキスを三回しなさいと厳かに命令する。この命令に従わない者の頭には、例のゴム槌がドカンと打ち下されることは言うまでもない。SとTとはどんな相手を抱かされたのやら知らぬ。私の相手はグレーのワンピースを着て、白いカトレアのアクセサリーが胸についていた。ウビガンの匂いが私をうっとりさせたことを告白しなければならない。これは客全部しなければならぬ掟(?)なのだからうれしくなる。こゝを出て五軒ほどキヤッフエを廻って、最終は目的のムーランルージュだ、さすがにこゝは上品で、それに相当飲み疲れているのでSもTも、そして私もぐったりしている。帰途の観光バスがホテルへ着いたのは午前三時過ぎ。くたくたに疲れているのに、先刻のウビガンの匂いに悩まされて夜明けまで眠られなかった。 (光風会会員)


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