小川博史 記事録

ラスコーの壁画

  • 『新美術新聞』 日々好日 2006年 9月21日号
  • (美術年鑑社発行)

 一九五七年パリ滞在中、友人Dとルノーを駆って約六〇日かけてイベリア半島を巡った。その帰途、先史壁画で有名なフランスのラスコー洞窟を訪れた。ピレネーの北、フランスのドルドーニュ渓谷には多くの鍾乳洞の洞窟が点在する。ドルドーニュ県のレ・ゼシーからベゼール川に沿って北東へ二九キロさかのぼるとモンテニャックという村がある。この村からさらに二キロほど上ると小高い丘に至る。一九四〇年九月一二日、土地の少年たちがこの丘の松林で偶然、洞窟の入り口を発見した。それがラスコー壁画発見の端緒となった。

 石器時代の人々が描いた壁画をぜひ見たいとずいぶん早くから見学を申し込んでおいた。やっと許可が下りて、定められた日の定められた時間に、限られた数の人たちだけが見ることができるのである。石で囲まれた小さな入り口。

各国からやって来た一五、六人と一緒に厳しい検査を受けた。

 鉄の厚い扉が開けられ、中へ数歩踏み出したところ、たくみな照明によって馬、牛、鹿、ビゾンなど壁一面に描かれた動物たちが鮮やかに浮かび上がった。赤、黒、褐、黄によって壁や天井に描かれているさまは、まことに壮観。その力強いリアリズムと妖しいまでのバイタリティーに圧倒された。

 人類の歴史にとってこの動物壁画の発見は画期的な出来事であった。そこには我々の最も古い文化遺産がほぼ完全な形で保存されていたからだ。私がラスコーを見てからかれこれ五〇年近くになる。すでにその頃、人の吐く息がもたらす炭酸ガスのため画面が変色したといわれていたが、最近の報道によると壁画はタイムカプセルとなって永久にだれも洞窟に入ることができなくなったという。この保存対策はもっともなことではあるが、ちょっと淋しい感慨にふけざるをえない。


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