小川博史 記事録

風土の中の人間像を追求する  下

  • 『なごや文化情報』 この人と 1999年5月号
  • (財団法人名古屋市文化振興事業団発行)

 志摩の海とエーゲ海、小川博史さんが、半世紀にわたって追求してきたモチーフの舞台である。歴史と風土の中に生きる人間の本質をキャンバスで表現したいと取り組む情熱はいまも燃えている。日展での審査員を勤めること六回。最多記録だそうだ。数々の賞を受けながら、より深い画境の追求を目指す洋画界の先達でもある。 
(遠藤由里枝)

重厚な画風へ

 終戦の翌一九四六年春に再開した光風会展で光風会会員に推挙され、秋の日展にも入選。その三年後には特選を受賞した。

 「あの頃は志摩へ通い続けていまして、娘に志摩子と名付けたほど、入れ込んでいました」というように、《浜》の連作で、一〇年余り続いた。また、一九四七年に所属美術団体の枠を越えた中美公募展に出品、いきなり受賞。三回展から審査員となる。

 小川さんの画風が大きく転換したのは一九五八年に改組された新日展の第一回展に委嘱出品した《サッカーラ》からである。

 その前年に、ギリシャ、エジプトから、フランス、イギリス、ポルトガル、スイス、イタリアなどを半年にわたって旅行したのがきっかけだった。当時は外貨の持ち出しが制限されていたので、海外旅行をする人はまだ少なかった。それだけに、この旅で小川さんは強烈なカルチャーショックを受けた。

 この旅行の思い出を話し出すと、日時や、その時の状況などが際限なく続く。その中でもエジプトとギリシャは後々まで、作品に反映するほど小川さんの心をとらえた。

 「エジプトは旅行する以前から関心がありましたが、実際にその地を踏んでみると、聞きしにまさる迫力で圧倒されました」

 地平線まで続く砂漠、そそり立つピラミッド、スフィンクスに接し、日本の穏やかな風景とは対極の厳しい自然を肌で感じ、そこに生きた人達に思いを馳せた。それをキャンバスにぶつけるようになった。絵筆はほとんど使わず、ペインティングナイフで絵の具を重ねるように置く手法で重厚な画面をつくりだした。

 一九五九年から数年間の日展出品作《ロマンの城壁》、《アルメリアの穴居》、《ジタンの住む山》、《シャトウ》をはじめ、このころに制作した作品で、この技法のマチェールを追求し続け、一九六二年の《石切場附近》で日展・菊華賞を受賞、六五年には《砂丘》で日展会員に推挙された。

 エジプトを描き続けた小川さんはそれと並行するように、色面を分割したキュービックな表現にしばらく挑戦したが、そのうちに心の奥であたためていたギリシャ、エーゲ海をモチーフにした作品に移って行く。

ギリシャ、エーゲ海

 「ギリシャは自分の中で神格化していたので、最初は近付きがたいものがありましたが、その後、何度も行っているうちに、その歴史や風土の魅力にひきつけられるようになって、いまだに虜になっています。

 エーゲ海は内海で、ふだんは穏やかですが、いったん荒れ出すと船が難破するし、空が暗くなってくると海も真っ黒になります。サントリーニ島は前二〇〇〇年前後には豊かな文明を発達させていた。(前一五世紀この島は大爆発によって丸い島が三日月型になってしまったといわれているところです。)この島は何度も噴火を繰り返していますから犠牲者もたくさんでたのでしょう。神にたよるのみという住民の気持ちからか教会が多いのです。

 こういう土地に滞在して、その歴史や、地震で変化した地形に、いま住んでいる人たちの生活を透かしてみると、かつて私が志摩の海をバックに海女さんを描いた時と同じ感慨をもっているのに気付きました」

 小川さんの年譜によると、一九六〇年代の後半から、ギリシャ、エーゲ海を背景にした人物作品が始まって、現在も続いている。背景といっても、説明的な建造物や風景は省略し、そこに作者が感じた空気のようなエスプリを複雑な色調とタッチで表現。それに加えて、崇高なギリシャ文明の神秘性、さらに深奥部に人間の本質をひそませている。というのが小川さんのねらいだといえよう。

 こうした作品で、一九八二年には光風会展の《北風》が辻永記念賞、一九八九年の日展の出品作《テトアンの女》が文部大臣賞を受賞した。

 このほか二〇回の個展をはじめ、名古屋市、ロスアンゼルス市交換美術展への出品、中日展、朝日美術展、中部国際形象展などの審査員や招待出品、中日文化センターでは開講以来三〇余年講師を勤めている。

 美術団体以外からは中日文化賞、東海テレビ賞、愛知県教育委員会文化功労者、愛知県知事賞などを受賞している。


トリック 80F 1968年 第11回日展 (株)日本アルミ蔵

トリック 80F 1968年 第11回日展 (株)日本アルミ蔵


壁画の制作


 一九九七年、名古屋市南区東又兵衛町に建った名古屋市総合体育館、通称レインボーホールの南玄関ホールに小川さん制作の陶壁画がお目見えした。幅二〇メートル、高さ四メートル、全体を方形に分割した濃いベージュの単色で、古代ギリシャのポセイドンを始め、陸上競技、アイススケート、ダイビング、柔道、アイスダンスなど各種スポーツのポーズがレリーフになっている。

 若い頃に励んだスポーツと製陶会社に勤務した経験をフルに生かした作品である。

 「壁画の依頼を受けたときは大変なことをひきうけてしまったと思いましたが、総合体育館にふさわしいものをと構想を練り、いろいろなスポーツのポーズを取り入れようと、何度も下絵を描きました。最初は縮尺した画面をアトリエ一杯に展開して、手直ししながら全体の構成を考えました。

 陶壁画は多彩な色づかいをして画面をつくるやり方もありますが、私は全体を一色にした方が、ひとつひとつのポーズがくっきりと浮かび上がり、照明の効果もあがると考えたからです。そのねらいは成功したと思っています。」

 小川さんの若さの秘訣は前進の心を持ち続けることだという。たとえ他人には見抜けなくとも自分だけの創意工夫を作品の中に塗り込めて行きたいと考えている。

 アトリエに無造作に置かれているアンティークのテーブルや椅子、古い壺などは、それぞれが響き合って、小川さんの日々の制作意欲を高めているように見受けた。
(了)


この他の記事